
所在地 :山形県東村山郡山辺町大字畑谷
築城者 :江口五兵衛光清
築城時期:詳細不明(戦国期)
形式 :山城
慶長出羽合戦で激しい攻防戦
”もう一つの関ヶ原の戦い”といわれる戦いがあった。「慶長出羽合戦」。最上義光の山形城を攻略すべく兵を進める上杉勢と最上勢との戦い。山形城への侵攻を阻止するために対峙した前線の山城が畑谷城だった。
慶長5(1600)年旧暦9月12日、総大将・直江兼続率いる上杉本軍(米沢)が畑谷城を攻撃。城主・江口五兵衛光清(ごひょうえあききよ)は山麓の鵜川をせき止めた水堀などで備え、迎え撃った。
しかし約2万ともいわれた上杉軍の前に翌13日、畑谷城は陥落。光清とその家族や兵400人が戦死した。
鳥観図
現地に設置された案内看板。往時の様子を推定したわかりやすい畑谷城鳥観図。

高さ6mの東部大空濠(からぼり)
館山山麓東部に築かれた「東部大空濠」。その規模は高さ6m、全長100m。「西部三重大空濠」と共に城の守りを固めた。



竪濠(たてぼり)
東部大空濠から山頂の主郭へと築かれた竪堀り。

西部三重空濠(からぼり)
主郭東側の東部大空濠と対を成すように残る西部三重空濠。主郭から100mほど下った場所に位置する。

山麓から虎口まで






主郭



